文化事業

1914年(大正3年)、第一次世界大戦時、中国の青島から324名のドイツ兵俘虜が丸亀俘虜収容所に送られてきました。

その俘虜の中に、エンゲルという音楽家がいました。彼は音楽的才能が高く、彼を中心に収容所の中に楽団が編成され、徐々に音楽活動が行われるようになりました。

物資、器材の少ない時代、楽器の調達等にも大変苦労したようですが、それでも、収容所閉鎖までの2年5ヶ月の間に通算26回もの演奏会が開かれています。また、エンゲルは収容期間中に丸亀高等女学校で演奏を行う等、地域における音楽活動も積極的に行っています。

(資料提供:鳴門市ドイツ館・丸亀市)

この丸亀俘虜収容所のドイツ兵俘虜はその後、松山、徳島等の俘虜と一緒に1917年(大正6年)徳島の板東俘虜収容所に送られました。そして、そこでも丸亀ドイツ兵俘虜エンゲルを中心に楽団が結成され、音楽活動がさらに盛んになり、1918年(大正7年)6月1日に徳島県鳴門市の板東俘虜収容所で、ドイツ兵俘虜による全曲演奏されたのが、日本における第九の初演とされています。

そのドイツ兵の一部が丸亀市塩屋町の本願寺塩屋別院に収容され、楽団を結成して、演奏活動を行っていた事実があることから、「ドイツ兵俘虜楽団」と「丸亀市」には深い繋がりがあります。

このような歴史的背景から「丸亀ドイツ兵俘虜楽団」をキーワードとして、「丸亀ドイツ兵俘虜楽団の足跡を辿る会」を組織し、その足跡を辿り、音楽を通じて世の中に潤いを与えることの大切さを教えてくれた彼らの功績をたたえ、これを風化させることなく市民及び社会に周知活動を行う為、「丸亀ドイツ兵俘虜楽団の足跡を辿る音楽フェスト」を開催し、その期間中「ビールとドイツ音楽の夕べ」「まるがめ第九プレコンサート」「まるがめ第九演奏会」等の丸亀ドイツ兵俘虜楽団の音楽活動の足跡を辿る関連行事を通じて、より多くの市民に参加していただき市民文化の向上と市民が主役の文化によるまちづくりを目指していく「地域住民参加型事業」として市民、合唱団グループその他様々な団体等が相互交流することにより、市内全域での市民の一体感を醸造し、丸亀市の文化振興のみならず丸亀とドイツ連邦共和国との歴史的関係を再認識し、観光振興、国際交流等総合的な人づくり、まちづくりを進めていくものです。

丸亀ドイツ兵俘虜楽団の足跡を辿る音楽フェスト


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丸亀ドイツ兵俘虜紹介リーフレット